以下引用
実は、私の時代もいじめはあった。私は今戸中学(合併して今は違う学校)の出身だが、当時は終戦からまだ4年しかたっておらず、世の中全体が荒んでいた。
特に山谷のドヤ街と遊郭吉原に囲まれた私の地域は、様々な問題を抱えていて最悪だった。
街にはチンピラがわがもの顔で、初めて登校した時も20人ぐらいの不良たちに囲まれて、大乱闘となった。
私はクラスの級長になったが、副級長が可愛い女の子だったからか、悪童たちから一番目をつけられた。
ある日の授業中、教室に用務員が来て、「深谷君、面会だ」という。先生の許可を得て玄関に行くと、そこには30人ほどのチンピラが待っていた。みんなに囲まれて連れて行かれたのは隅田プール、水の入っていないプールの中で4~5人がいきなり殴りかかった。
学校を抜けてきた顔なじみの同級生が何人もいて、バットや棒切れを持って、プールの縁で身構えている。
多勢に無勢、これでは勝てないなと腹を決め、私は殴られるままに任せた。
ようやく解放されると、学校への帰途、公園の水道で傷やこぶを洗い冷やせと妙に親切だったことを、今でも鮮明に覚えている。
そんなことが何度も繰り返されたが、私は親にも先生にも一切告げなかった。内緒にしておいたほうが無難と子供心に感じていたのだ。
不良少年から生徒を守ろうとした熱血先生もいた。しかし、何故か逆に暴行罪に問われ、学校から追放されてしまった。
よくしたもので、叩かれても殴られても、一向に泣かずに、倒れてもまた立ち上がる私を気味悪がったのか、不良たちは次第に私に近づかなくなっていった。その頃、私は熱心に空手を学んでいたが、その為かも知れない。
2年生の頃には、いじめられる生徒を何人かの仲間で助けに行くようになった。ずっと級長を続けていたが、いつの間にか、いわば良い方の番長となっていたのであった。
今でもあの時の連中の顔は覚えている。
笑い話のようだが、私が東京都会議員になって都庁の車で帰宅する時があった。初めての運転手さんなのに、道も聞かずに我が家に向かう。訝しく思って尋ねると、なんと私を何度も殴った、当時一番の悪(ワル)と言われた双子の1人であった。
中には、その後、私の選挙を手伝ってくれた人もいる。
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少年時代のいじめ武勇伝の話など何の意味があるのか。
そもそもイジメを超えた暴力は少年法云々ではなく、犯罪なのであって、
それを行ったものは処罰され、隠蔽した教師や親どもも処罰されることが
「当然」なのであって、その当然という概念がないのが問題なのだ。
バットを持って集団で殴られる→凶器準備集合罪で暴行が無くてもしょっぴける。
そもそもそんな暴力的背景の説明など要らないのだ。
これだから団塊議員は能無しなのだ。
これら議員どもはその根底にある常識的な概念が間違っている。
世代が違うとここまでギャップがあるものか。
まさかイジメにあったからイジメられないためにボクシングを始めろとか言うんではあるまいな。